表記ガイドラインが守られないのは、ライターの怠慢ではありません。参照コストの問題です。
書いている最中に、別タブのスプレッドシートを開いて、80行ある表を上から探して、該当する語があるか確かめる。これを一段落ごとにやる人はいません。やったら執筆が止まる。だからライターは、覚えている範囲で書いて、あとは編集に任せます。合理的な判断です。
問題は、その合理的な判断の積み重ねが、ガイドラインを飾りに変えてしまうところにあります。
守られているかどうかを、誰も測っていない
形骸化のいちばん分かりやすい兆候はこれです。
ガイドラインを作った直後は、みんな意識します。三ヶ月経つと、意識している人と忘れている人が混ざる。半年経つと、新しく入った人はその存在すら知らない。この変化は静かに進むので、気づくきっかけがありません。
なぜなら、守られたかどうかを検証していないからです。
記事は公開されている。読んで問題があれば直す。だから「だいたい守られている」ように見える。実際に「お問合せ」で全記事を検索してみると想像より多く出てくる、というのはよく聞く話です。測っていないものは、良くなっているのか悪くなっているのかも分かりません。
更新が止まり、増える一方になる
もうひとつの兆候。ガイドラインの行数が、ある時点から動かなくなります。
表記ルールは本来、運用しながら足していくものです。新しい商品名が出る。他社サービスの正式表記が変わる。「AI」を全角で書くか半角で書くかで揉める。こういう決定は毎月発生します。
ところがガイドラインの更新は、たいてい誰の担当でもありません。編集長の兼務になっていて、優先度は常に記事の公開より下。結果として、決定は Slack のスレッドやレビューのコメントに残り、ガイドラインには反映されないまま流れていきます。
さらに厄介なのは、いったん追記されたルールが減らないことです。当時の事情で入った例外が、事情が消えたあとも残り続ける。行数が増えるほど参照コストが上がり、参照コストが上がるほど読まれなくなる。読まれないから、書いてあることと現場の運用がずれていく。ずれに気づいた人が「あれはもう古いので」と口頭で補足する。
こうしてガイドラインは、正しさの根拠ではなく、過去の議事録になります。
三つの場所に散らばる

形骸化したメディアのルールは、だいたい三ヶ所に分散しています。
| 場所 | 入っているもの | 問題 |
|---|---|---|
| ガイドライン(スプレッドシート/Notion) | 最初に決めた基本ルール | 更新が止まっている。書いている最中に開かれない |
| レビューのコメント履歴 | 個別の判断、例外、その理由 | 検索できない。書いた本人しか知らない |
| 編集者の頭 | 最新の運用、暗黙の優先順位 | その人が休むと止まる。退職すると消える |
この三つが一致していないことを、現場は薄々知っています。だから新しいライターは「ガイドラインを見ました」と言いながら、実際には編集者に聞く。聞かれた編集者は口頭で答える。答えはどこにも記録されない。
「見ればわかる」を前提にしない

ここまで書くと、ガイドラインを作るのが無駄だという話に聞こえるかもしれません。そうではありません。決めること自体は必須です。決まっていなければ、そもそも何が正しいかを議論できない。
無理があるのは、決めたルールの発動を人間の記憶に任せている設計のほうです。
ルールには二つの役割があります。
- 保管:何をどう決めたかを残しておく
- 発動:書いている最中、あるいは公開する直前に、外れていることを知らせる
ドキュメントは保管には向いています。発動には向いていません。開かないと発動しないからです。そして人は、書いている最中には開かない。
発動する場所は、書いている画面しかない
発動を仕組みにするなら、置き場所の候補は限られます。
書き終わったあとの編集レビューに置くと、指摘が遅れます。ライターは自分の書き癖を直すきっかけを失い、編集者は同じ指摘を繰り返す係になる。差し戻しの往復も増える。
公開の直前に置くと、止められはしますが、そこで直すのは書いた本人ではないことが多い。
いちばん摩擦が少ないのは、書いている画面の中です。「お問合せ」と打った時点で、その場に「お問い合わせ」と出る。ライターは別タブを開かないし、探さないし、思い出す必要もない。参照コストがゼロになる。
もうひとつ、この置き方には副次的な効果があります。ルールの更新が現場に即反映される。新しい表記が決まったら辞書に一行足すだけで、翌日から全員の画面に出る。ガイドラインの改訂を全員に告知して、覚えてもらう工程がまるごと消えます。
とはいえ、これは「ライターが自分で直せば編集が楽になる」という単純な話でもありません。編集の負荷がどこで発生していて、それが本数にどう効いているかを見ないと、投資判断ができない。そこは差し戻しの往復という観点から書きました。
