外部のライター5人に、月20本書いてもらっているとします。上がってきた原稿を編集者が開いて、赤を入れる。「お問合せ」を「お問い合わせ」に直す。「することができます」を「できます」に縮める。です・ます調の中に一文だけ混ざった「〜である。」を直す。読点が6つ入った長い一文を二つに割る。
先月も同じ作業をしました。その前の月も。
この状態を「ライターのレベルにばらつきがある」と表現してしまうと、打ち手が「もっと良いライターを探す」か「もっと丁寧にフィードバックする」の二択になります。どちらも効きが悪い。効きが悪い理由は、そもそも問題の置き場所が違うからです。
直している内容を書き出すと、性質が二つに割れる

一週間分の赤入れを並べてみると、指摘は二種類に分かれます。
ひとつは、正解が一つに決まるもの。「Wordpress」は「WordPress」以外にありえない。「お問合せ」を「お問い合わせ」に統一すると決めたなら、それが答えです。判断の余地がない。
もうひとつは、その原稿を読まないと判断できないもの。構成の順番、根拠の弱さ、読者の前提とのズレ、そもそもこのテーマでこの結論でいいのか。これは編集者にしか見えません。
問題は、前者が指摘全体のかなりの割合を占めていることです。そして前者は、ライターの文章力とほとんど関係がない。関係があるのは「そのメディアがどう決めたか」を知っているかどうかだけ。
知らないことを、スキルの差と呼んでいる
「お問い合わせ」を「お問合せ」と書くライターが文章下手なわけではありません。前に書いていた媒体では「お問合せ」だったのかもしれない。あるいは、どちらでもいいと思っている。実際、日本語としてはどちらも間違いではありません。
決めたのはメディア側です。そしてその決定は、たいてい編集者の頭の中にあります。
ここが分散の発生源です。基準が人の中にある限り、その人と接触した回数だけ基準が伝わる。5人のライターがいれば、5通りの伝わり方をする。しかも伝わり方は、いつ入ったか・何本書いたか・どの編集者が見たかで変わります。
「品質がばらつく」の正体は、平均が低いことではありません。分散が大きいことです。そして分散の大きさは、基準がどこに保管されているかでほぼ決まります。
フィードバックは蓄積しない
丁寧に赤入れをして、コメントを添えて返す。ライターは次から気をつける。ここまでは機能します。
ただ、この学習はその人の中にしか残りません。
- 新しいライターが入ると、ゼロから同じ指摘を繰り返す
- 半年ぶりに戻ってきたライターは、細部を忘れている
- 指摘を返した編集者が異動すると、なぜそう直したかの理由が消える
- ライターが5人から8人に増えると、伝達の組み合わせは増える一方
同じ指摘を何度も書いている感覚があるなら、それは気のせいではなく、構造がそうなっています。個人の学習曲線に投資しても、チーム全体の基準は上がらない。人が入れ替わるたびにリセットされるからです。
「ちゃんと伝えていないほうが悪い」でもない
では伝え方が悪いのか、というと、そこも違います。
伝える努力をしている編集部はたくさんあります。キックオフで説明する。サンプル記事を渡す。初回だけは特に細かく赤を入れる。それでも三本目あたりから「お問合せ」が戻ってくる。
書いている最中のライターの頭の中には、そのメディアのルールは入っていません。入っているのは、書こうとしている内容です。表記の判断は、書き終わって読み返すときに、思い出せたら発動する。思い出せなければ発動しない。思い出すという不確実な工程に依存している限り、確率的にすり抜けます。
基準を人の外に置く、という発想

分散を下げる方法は、原理的にはひとつしかありません。基準を、人の記憶ではない場所に置くこと。
「置く」には段階があります。
- 決めていない(各自の判断)
- 決めたが、口頭で伝えている
- 決めて、文書にしてある
- 決めて、書いている最中に目に入る場所にある
- 決めて、外れたまま公開できないようになっている
多くのメディアは2か3にいます。そして3まで進んだところで「ガイドラインは作ったんですけどね」という状態で止まる。ここが次のつまずきです。
文書化は正しい一歩です。ただ、文書化だけでは分散は思ったほど下がりません。理由は、書いている最中に誰もその文書を開かないから。
校正の仕組みを作っている側から言うと、ここが設計の分かれ目でした。ルールを「保管する場所」の問題として解くのか、「発動する場所」の問題として解くのか。保管はドキュメントで足りる。発動は足りない。
ガイドラインを作ったのに守られない、という現象が具体的にどういう仕組みで起きるのかは、別の記事で書きました。ガイドラインを作るのが無駄だという話ではありません。置き場所の話です。
